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京都文学散歩 【三島由紀夫・金閣寺】

京都を舞台にした小説は数多ありますが、

こちらはその中でも代表的といっていいものなのではないでしょうか。

三島由紀夫の『金閣寺』です。

実は私は一応、文学部出身なのですが、なんとこれまで三島を読んだことがなく、

(一応の言い訳をさせていただくと、専攻は心理学でした…)

今回、初めて三島由紀夫の世界に触れることになりました。

 

読みながら感じたことですが、

 

『金閣寺』は私のような京都に住んでいる人間にとっては

単に身近な場所が舞台となっているということ以上に大きな意味をもつ作品なのではないかと思いました。

京都に住んでいれば、行こうと思えば毎日でも金閣寺に行くことができます。

ただし、そのためには毎回500円の拝観料を払わねばならず、実際には毎日金閣の姿を拝むことは現実的ではありません。

私たち京都の人間は、金閣寺に行きたくとも行けなかった舞鶴時代の主人公と、毎日金閣を見ていた修行時代の主人公のちょうど真ん中ともいえる立場に立っているともいえるでしょう。

京都には金閣寺をはじめ、古くから存在し続けてきた「美しい」建物が多く残されていますが、

当たり前に周囲に「美」が存在している私たちにとって、美とはなにかを改めて考え直すきっかけとなる作品なのではと感じられました。

 

 

この『金閣寺』、ガーデン事務所の周辺が多く舞台となっています。

ということで、読了後、『金閣寺』に描かれた様々な場所を巡ってきました。

 

まずはこちら、主人公が柏木と出会った大谷大学です。

大谷大学は作中に書かれている通り、現在でも烏丸北大路の角にあります。

東に目を向ければ、「濃紺の比叡の峯」をわずかに望むこともでき、

主人公と目線を共有することもできます。

 

そして、こちらが、主人公が舞鶴で金閣寺を燃やすことを決意する直前、

舞鶴に行くきっかけとなったおみくじを引いた建勲神社です。

主人公が駆け上った「建勲神社へ向う迂回した石段」はおそらくこの階段のことだと思われます。

建勲神社は、清少納言の『枕草子』内で「岡は船岡」と評されたこともある船岡山の中にあり、

一歩足を踏み入れると、街中にあることを忘れるほどに荘厳な雰囲気に全身が包まれます。

 

そして、最後に金閣寺を訪れてきました。

残念ながら境内の写真は個人利用以外はNGということで、お見せできないのですが、

テレビや広告や教科書や、あるいは訪日観光客向けのお土産売り場など、日本に住んでいれば様々なところで目にする金閣寺。

 

おそらく写真を見ずとも、皆様の頭の中には金閣の姿がありありと想像できているのではと思います。

 

ところで、私は生まれてこの方京都に住んで20数年が経つのですが、

記憶にある限り金閣寺を訪れたのはこれが初めてでした。

夕日を見るときですら金閣の姿を想像するほどに金閣寺に恋焦がれていた少年時代の主人公のことを考えれば、なんとも贅沢でもったいない話だと我ながら思いますが、

ともかく、初めての金閣寺ということになりました。

 

よく知られている通り、金閣は本作品の題材ともなった放火事件で一度消失してしまい、現在の姿は再建されたものです。

そのため、主人公が目にしていたものを見ることは今や叶わなくなってしまったのですが、

今でも「美しい」建物の代表格と認識されることも多い金閣。

その姿は、今日の現実の世界でも、その「美」にとりつかれてしまう人が現れてもおかしくはないくらいに光輝いていました。

ただ、境内を進んでいく中で初めて金閣の姿が目に飛び込んできたとき、

思っていたよりも小さいな、と心のどこかで感じてしまったのは

私が『金閣寺』を読み終えた直後で、少し斜に構えてしまっていた部分があったのかもしれません。

 

三島由紀夫の『金閣寺』は金閣寺の存在について、あるいは「美」について改めて考えさせられる作品でした。

皆様もぜひ、『金閣寺』を片手に様々な場所を巡られてはいかがでしょうか。

 

この記事を書いたスタッフ