EMPLOEE THOUGHTS

社員の思い

設計も、人生も、あきらめず丁寧に向き合うことから始まる。

garDEN専務取締役・設計士 竹園節子

田中とともにgarDENを設立した竹園が、「住宅の設計士になる」と決めたのは、なんと15歳の時。初めての注文住宅設計で大きな壁にぶつかるものの、今では、「私の中にある『ぶれない設計道徳』を若い人へ伝えていきたい」と語ります。竹園の中にある「ぶれない設計道徳」とは何か。garDENの家づくりの哲学ともいえる、その価値観に迫ります。

 

 

 

 

お絵描きをするように間取り図を描いていた。

この仕事をするようになった経緯を教えてください。

 

物心ついたときから、母親から「自分の好きなことを一生の仕事にしなさい」と刷り込まれていて、それを見つけるのが課題のように感じて育ちました。

 

幼少期は絵や工作など、とにかく何かを作ることが大好きで。実は小学校低学年の時には、部屋の間取り図を妄想しながら描いたりもしていました。

 

小学校!

当時住んでいた家が、祖父母が新婚当時に建てた平屋を、無計画に増築改装していた家だったんですね。だから住みにくくて。

 

母との日常会話で、「ここが食べるところだったらいいのにね」とか、「洗濯物がここで干せたらいいのにね」とかが普通に出てきて、お絵描きのような感じで間取り図を描いていました。

 

設計士になると決めたのは、中学3年の15歳の時です。いよいよこれからの職業を考えていかなきゃ、って時に、そういう子ども時代が背景にあって、「住宅づくりをする設計士になろう」と思ったんです。

 

具体的に、どういうキャリアを積んだのでしょう?

 

大学で住環境学を専攻し、住まいづくりを勉強しました。でも、卒業して社会人になるタイミングが就職氷河期の真っ只中。とにかく家づくりであればどこでも受けて、最初に内定をいただいた建売住宅の会社に入社しました。

 

でも2年半で辞めてしまって。エンドユーザーに近い仕事がしたくて、次はスタッフ数が10人以下の小さな工務店に入り、そこで田中と会って、今に至ります。

 

garDENを起業するまでに、どんなことがあったんでしょう?

 

その工務店に入社してしばらくは、仕事が全然とれなかったんです。お施主さんも自分より一回り年上は当たり前。設計士も私のほかにおらず、注文住宅の経験もないわけですから、どうしたって仕事がとれない。

 

一生懸命仕事して、年間10件以上プレゼンテーションしても1件もとれない。そんなのが1、2年続いて、「会社がうまくいかないのは自分のせいだ」と、どんどん自分を苦しめて、心身を壊してしまいました。

 

そんな私を見て、当時常務だった田中が、「休め」と言ってくれて。お昼から出勤して18時には帰るという生活を半年くらいさせてもらいました。元気になったタイミングで、田中が「また朝から働いて、みんなで家づくりしようや」と。

 

 

 

 

「必ず三方善しにできるはずや」。

復帰は怖くなかったですか?

 

怖かったですよ、またうまくいかないかもしれないって。でも、田中が「大丈夫やから」とすごく背中を押してくれて、それでまたがんばったんです。

 

よく考えたら、私だけじゃなく、まわり全体がうまくいってなかったのかもしれません。

自分は、好きで入ったはずの業界で仕事はとれない。お客さんにはクレームを言われ、職人さんたちは値切られ、仕事した分の報酬をきちんともらえない。

 

でもなんとなくみんなが、それを当然だとあきらめている。住宅業界はクレーム産業といわれるし、残業は当たり前だ、そういう業界だとあきらめていたんですね。

 

そのつらいときに、田中が言ったんですよ。

 

こんな三方善しじゃない業界だったら、なくなってしまったらいいやん」って。「でもおまえ、本当にそう思うか?」と。

 

「本来、家族が暮らしていく家をつくる素晴らしい仕事やないか。職人さんは誰にもまねできない技術をもっている、そんな人たちがお金だけのために仕事をして、上からは安く値切られ、大事につくりたいのにスピードを求められ、おまえ、こんな社会であっていると思うか?俺は、嫌や」って。

 

子どもや孫に誇らしげにできる仕事にしたい。家づくりを、クレーム産業にするかしないかは、自分次第や。必ず三方善しにできるはずや。せめて、お客さんは喜ばせてあげようや」って。

 

それから、みんなで一歩一歩がんばったんです。お客様にしっかりと思いを伝え、丁寧にプレゼンテーションをし、いい家を、自信をもって提案できるようになろう、まずはお客様に本当に満足してもらえる家をつくろうって。設計コンサルの人にアドバイス頂いたり、省エネな家づくりの勉強会(編集注:当時「野池学校」、現「温熱カレッジ」)にも積極的に参加して、がんばったんですね。

 

そしたらちょっとずつ結果が出るようになって。それで、どんどん自信がついていったんです。結果的にその年は、年間12件プレゼンテーションして11件受注できて。そのころ、自分の家づくりに対する道徳というか、輪郭みたいなものがはっきりしていくんですね。

 

 

 

 

敷地は人間みたいなもの。

 

家づくりに対する道徳。

 

そうです。よくgarDEN主催のイベントでも話すんですけど、私はね、敷地は人間みたいなものだと思うんです。

 

敷地に対して多くの方が、「西向きやし」「ビルに囲まれているし」「狭いし」って何かしら卑下されるんですけど、敷地は人間と一緒。短所もあるけど長所も絶対あるんです。その長所を生かすだけで、すごく素敵な空間になるって、わかったんですね。

 

それって、人生や、人との向き合い方と一緒なんですよね。あきらめたらそこでおしまい。あきらめないこと、工夫すること、続けることが大事。設計も一緒で、「敷地が小さいから小さい家になってしまう」じゃないんです。絶対に、いいところが必ずある

 

うまく行かない時期に、ちょうど人生とか、自分の生き方とか、人との向き合い方を考えていくタイミングと、家づくりについて真剣に考える時期が重なったんですよね。

 

自分も含めて、人のいいところも悪いところもまるごと受け容れるように、敷地に対してもこの敷地のいいところはどこか」ってちゃんと丁寧に向き合って、そこにお施主さんのあこがれの暮らしをはめていったら、必ずいい家ができるんです。実際、建ててみたら本当に喜ばれるいい家ができていく。その楽しさを覚えていったときに、私の中にぶれない設計道徳というか価値観が、ズドンと通ったな、って感じがしたんです。

 

 

 

 

つくる人も使う人も、互いを思いながら住まう家を。

 

garDENの企業理念「HAPPYをつくる」をどうとらえていますか?

 

苦しかったところからみんなで立ち上がっていったからこそ、強くそう思いますよね。

「クレーム産業だという思い込みを、自分たちの力で払しょくしよう」って決めて、一つ一つHAPPYになっていく過程を踏んだので、次はこの業界からその思い込みを払しょくしたい。「家づくりはこんなにも素晴らしい仕事なんだ」ということを世の中に伝えたいし、同じような想いをもって仕事をしている工務店さんたちと、HAPPYを広げていきたいです。

 

私はお家の引き渡しのときに、お客様から「ありがとうございます」っていつもおっしゃっていただけるんですけど、そのたびに「いやいや、私じゃない」って思うんですよね。現場でたくさんの職人さんが汗水垂らして家をつくっているのを、ずっと見ているので。

 

だから、互いの顔が見える関係で、つくる人は使ってもらう人のことを思いながらつくり、使う人はつくってくれた人とのことを思いながら大事に使う。そんな家づくりがしたいと思っています。

 

これからやりたいことを教えてください。

 

先ほど話したような設計道徳が自分の中にストンと通って、もう10年くらいの月日が経ちました。これからはこの設計道徳を、若い人たち、設計士を目指している人たちに伝えていきたいと思っています。

 

garDENは、garDENの家と同じだけ続いてほしい。だから、続くように人を育て、このスピリッツを若い人たちにつなげていきたいですね。

(取材・文:立藤慶子)