原谷弁財天さんを応援しています
garDENのモデルハウスと私の自宅は、京都市北区大北山原谷にあります。金閣寺の北西、山に囲まれた盆地の中の小さな町です。この町で暮らし、この町で家をつくらせていただいている者として、私は地域の神社である原谷弁財天さんを応援しています。

石段を上がると、朱の鳥居と社殿。原谷弁財天さん
神様のほうから、会いに来てくださる
原谷弁財天さんでは、お神輿を担いで町内を巡ります。年を重ねてお参りに行くことが難しくなった方のところへ、神様のほうからお出ましいただく。担ぎ手が汗をかいて坂道を上がっていくのは、その一軒一軒のためでもあります。
子どもたちにとっては、一年でいちばんの楽しみです。太鼓の音、屋台の明かり、大人が本気で声を張る姿。そういう記憶は、大人になってからその土地に戻ってくる理由になります。お祭りは、地域が次の世代へ手渡されていく仕組みそのものだと私は思っています。
800年以上前から、この谷にいらっしゃる
原谷弁財天さんの縁起をたどると、文治2年(1186年)、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門がこの地に落ち延び、弁財天をお祀りしたことに始まると伝えられています。その後、明治以降に原谷が過疎化した時期には、一度は仁和寺さんへ遷座されました。
再びこの地にお戻りになったのが昭和26年、近隣の民家にお迎えしたのが始まりです。昭和53年に新しい社殿が落成し、あらためて原谷の氏神様としてお祀りされることになりました。町がいちばん苦しかった時期を越えて、地域の人の手で呼び戻された神様だということです。
この町は、人の手で拓かれた町です
原谷は、戦後の開拓地です。昭和23年、19世帯が入植しました。当時は電気も水道もなく、直径50cmもある切り株を一日に一つ二つと抜きながら、家を建て、井戸を掘り、畑を拓いていったと記録に残っています。原谷中央公園の奥には「開拓魂」と刻まれた記念碑が今も立っています。
今は3,000人以上が暮らす住宅地になりましたが、この町の道も、水路も、暮らしの土台は誰かが手で作ったものです。そのことを知ってから、私はこの町での家づくりの受け止め方が変わりました。
古くからお住まいの方に、お話を聞いていきたい
お祭りに参加していると、開拓のころを知っておられる方や、そのお子さんの世代の方にお会いします。当時の暮らしぶり、お神輿のルートが変わってきた経緯、なぜここに社殿が建ったのか。本には残っていない話がたくさんあります。お祭りの合間に少しずつ伺いながら、この町のことを知っていくのが、私の楽しみのひとつです。
今週末は、原谷の盆踊り大会です
8月22日(土)19時から22時、23日(日)18時から21時の2日間、原谷中央公園で「原谷 盆踊り大会」が行われます。主催は原谷地域連絡協議会です。

原谷地域連絡協議会による盆踊り大会のご案内
22日はヒップホップダンス(orangecommunity)、23日は江州音頭(桜川会)と弁天太鼓(弁天太鼓保存会)。23日の江州音頭は生歌で、これがまた気持ちのいいものです。雨天中止、公園内は条例により全面禁煙となっています。
なかでも弁天太鼓は、23日(日)の18時から。開始と同時の出番です。地域の子どもたちも一生懸命に打ちますので、ぜひ見に来てあげてください。
会場の原谷中央公園は、さきほどの「開拓魂」の碑が立っている、あの公園です。開拓の記念碑の前で子どもたちが踊る。この町らしい夏の風景だと思います。お近くの方はぜひ足をお運びください。
神社が続くということは、その地域に人が住み続けられるということだと思っています。家をつくる仕事も、たぶん同じことをしています。100年先も、この谷で子どもたちが太鼓の音を待っている。そうあってほしいと願いながら、これからも原谷弁財天さんを応援していきます。

田中 健治